シスターに Q & A
シスターにQ & Aと題したこのページでは、どのようにしてシスターに導かれたのか、シスターとして奉仕してきて今思うこと、また、普段の生活や隠された趣味など、皆さまにご紹介したいと思っています。
前回から期間が随分と空いてしまいました。
最後の登場はシスター山﨑智子です。普段はベテル教会牧師として、牧会活動、婦人の集い、など頑張っています。
・クリスチャンになったきっかけ
島根県で生まれました。田舎ですので、神社仏閣の各行事に当たり前に参加するような、ごく普通の家庭に育ちました。学生時代を経て、看護師として病院で働き始めました。その時の職場の同僚に誘われて、病院のバイブルクラスに参加しました。これが私の最初のキリスト教の出会いでした。その友人は人のことを考えてくれる温かい人で、心の土台のぶれない方でした。その彼女の姿から神様を信じている人の心の強さを感じていました。そしてそのバイブルクラスに教えにきていたのが、故シスター建雅子とシスター・エーデルトラウトでした。このクラスで、神様が唯一の神であるということを学びました。様々な神を祀っていた日本の風習、特に島根での生活からは考えられないことでした。しかし、これが変わることのない神様を信じるきっかけとなりました。さらに聖書を学ぶことを通して、神はひとりであるということを確信しました。また、同時に罪の問題を考えるようになり、罪とは一般の概念の罪ではなく、神を神としないという大きな罪のために、神はイエス・キリストを地上に送っていただいたということを知り、神様の思いに沿った生き方をしたいと強く思うようになりました。そして、石屋川ルーテル教会(現御影ルーテル教会)に通うようになりました。教会では礼拝だけでなく、出来る限り小教理の学びや集会にも積極的に参加しました。そして、1983年4月に受洗に至りました。
「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。」
(イザヤ書42章6節)
・シスターになる
受洗後、看護師の仕事のために礼拝や祈祷会に参加できないことが多く、十分な教会生活を送ることが難しくなりました。そこで、さらに聖書をもっと知りたいと望み、また教会生活の土台を作るために看護師の仕事を退職し、神戸ルーテル聖書学院に入学しました。2年間の学びの後、フェローシップ・ディコンリー福音教団に献身して、石屋川ルーテル教会、豊浜キリスト教会にて伝道師として活動を始めました。ここで、将来について迷いが生まれました。一人で伝道者としてずっと働いていくか、結婚して家族を持ちながら働いていくか、またシスターのように結婚を神様に捧げて神のために働くのか。すぐにその決断が出来ず、しばらくその迷いから離れてしまいました。そんな時に、シスター建が説教テープを送ってくださったのです。当時DGDの総監督だったテオドール・ベンデル牧師のメッセージでした。「光り輝く人生」という題で、自分の持っている賜物を主に捧げて、主に仕えていく。その意味でシスターは女性として素晴らしい働きだというお話しでした。私はそのテープを繰り返し聴き、私に与えられた生き方は「これだ」と確信し、シスターとして自らを献身することを決断しました。シスターとなって母の家ベテルの門をくぐったとき、まわり道をしましたが最終的にここが私の導かれたところだったと確信して、それまでの経験を神様に感謝し、心に平安が与えられました。1991年9月のことです。
・シスターとしての働き
初めは、老人ホームや病院での伝道やお世話をしたり、また看護師として働いたりしました。また、様々な集会でメッセージをしました。2002年に神学校につかわされて、3年間学びました。卒業後、2007年に牧師按手を受けました。母の家ベテルの夕拝のご奉仕、婦人の集いを始めました。2015年、母の家ベテルがベテル教会を創設し、ベテル教会主任牧師として奉仕が始まり、今に至っています。
ここ数年、自身の健康のために毎日30分ほど散歩に出かけています。その時に積極的にご近所の方々にお声かけをしています。クリスチャンでない方々とお話しをすることによって、一人でもベテル教会や母の家ベテルの集会に足を運んでくださったら、という思いもありますが、何気ない会話の中から、シスターとしてキリスト教に縁のない方々とどのような交わりやサポートができるか自問しています。純粋にご近所の子供たちの成長を見るのも嬉しいです。
私が生きている限り、主に仕えていきたいと思っています。100歳まで…。(笑)
献身した時、この主にあって心が喜びに溢れました。この喜びをまだ知らないすべての人に生涯伝えていきたいと強く望んでいます。
「命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」
(詩編23編6節)
しばらく空いてしまいましたが、シスターにQ&A、七人目は、
シスター望月理恵子です。
1)クリスチャンになったきっかけは?
大学生になった時、人間の生きる目的はなんだろうかと考え始めました。入学した大学はキリスト教の大学でした。正面玄関には「およそまことなること」というラテン語が刻まれていました。私もまた”まことなる”ものを求め、その為に生きたいと思いました。
キリスト教には反発を感じました。ベトナム戦争が起こっていた時代でした。クリスチャンは何の反対もせず、自分達の生活を守っているように見え、反発を感じました。社会の中で生きる人間を研究する社会学に魅力を感じ、社会学を専攻しました。大学4年の時、全国的に学園闘争が起こりました。私達の大学でも、授業料値上げ反対から、安保等の政治問題や大学のあり方の問いへ広がり、紛争は大きくなっていきました。学内の建物を占拠し、教授達が撤去に来、ぶつかりあうこともありました。東大闘争の終焉によって、学園闘争はその限界を見ました。正義は力ではなく、力が正義である現実を体験しました。全共闘の内部のあり方にも失望し、左翼の運動を一生続けることはできないと思いました。その後の数年、生きる目的を求めさまよっていました。
ある時、一人のクリスチャンに出会いました。『教会へ来ませんか?』と何回も誘ってくださいました。誘われて行った教会は富士見町教会でした。。私は時間の許す限り、礼拝や求道者会や家庭集会に参加しました。しかし、何事にも懐疑的になっていたので、御言をなかなか信じることができませんでした。だだ一つ、次の御言のみが、乾いた土に水がしみ込んでいくように、心に快くしみ込んで行きました。
空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
(伝道者の書1章2節)
教会へ行き始めて7か月位たった頃、島村亀鶴先生から、『なぜ、あんたはイエス様を信じないのか』と聞かれました。『あんたを見ていると中国の古い民話を思い出す。ある人が苗を植えて、ついたかなと毎日抜いて見ているうちに枯れてしまった。神の学校へ入学するつもりで洗礼を受けなさい。』
もうここしかないと思って教会に来ているのに、このすすめに反対したら教会に来れなくなると思い、洗礼ということを真剣に考え始めました。そして、イエス様は正しい方だ、この方についていけば間違いない、神の学校に入学するつもりで洗礼を受けようと決心しました。
*母の家ベテル・夏期学校で、小学生に聖書のお話しをしているシスター望月。ここ数年は夏期学校のリーダーとして活動。
2)シスターになったきっかけは?
クリスチャンになって4年程経った頃、ドイツのマリア姉妹会を訪ねてみたいと思いました。マザー・バジレアの本を多く読み感動していたからです。
マリア姉妹会に着いた時、私のために祈りによって選ばれた御言をいただきました。
先の事どもを思い出すな。
昔の事どもを考えるな。
見よ。わたしは新しい事をする。
(イザヤ書43:18~19a)
そこに滞在したのは本当に短い期間でしたが、シスターたちがとても明るく、清らかで幸せそうであったので驚きました。それまで、そのように幸せそうな生き生きとしたクリスチャンに会ったことがありませんでした。神と共に歩む事は、本来、そのように幸せな事であるはずだと思いました。それまで結婚の事で思い煩っていましたが、一瞬にして消えてしまいました。結婚するかどうかは問題でなくなりました。最も大切な事は、イエス様につながって生きることだと思いました。
マリア姉妹会から帰ってから、『イエス様は、一人一人の人間をご計画を持ってつくられた。私の生涯にもご計画を持っていてくださるに違いない。そのご計画どおりに生きたい。』と思うようになり、祈り始めました。イエス様にお仕えする為に、聖書を学びたいと思いました。頭だけなく生活を通して学びたかったので、群馬県の山奥で伝道し、レイマンコースを開いておりましたエミ・シュニドリック宣教師の所に行きました。そこで学んでいる間に、だんだんシスターになりたいと思うようになりました。そのころ、伊豆の天城山荘で日本リバイバルミッションの集会があり、出席すると、紺の制服らしきものを着ている人がいました。ベテルのシスターでした。
神戸のベテルを訪ね、Sr.エーデルトラウトにお会いし、今までの導きについてお話ししました。『今年3名のシスターが与えられるよう祈っています。今2名与えられています。あなたが3人目の人だと思います。』とおっしゃり、御言をくださいました。
だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、日々、十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。
(ルカ9:23)
私はベテルについて何も知らなかったので、自分のすべてを委ねるのが不安でした。箱根のケズイックに参加した時、本田弘慈先生が献身者の招きをされました。その時、ルカ9:23の”自分を捨て”に迫られて、前にでました。行き先を知らずして出て行ったアブラハムの信仰に励まされ、信仰によってベテルに入りました。
3)どんな働きをして来ましたか?
主に老人伝道に携わってきました。最初、キリスト教に立つアガペ甲山病院の伝道部で働きました。その後、准看護師の資格を取り、キリスト教の病院、老人ホームで看護と伝道の働きをさせていただきました。アガペ甲山病院、徳島栄光病院、聖ルカホーム(静岡県牧ノ原市)です。現在は、デイ・サービス・センターみそのホームで週2回働いています。
”母の家ベテル”では、子供伝道の働きをしています。
4)趣味はなんですか?
ハイキングです。山辺の道や竹内街道など、古の歴史に思いを馳せながら歩くのが好きです。サッカー、フィギュアスケートをテレビで見ることも楽しみにしています。
6人目はシスター・エーデルトラウド ケスラーです。
日本に来られてもう45年が経ちました。
私は1972年にドイツから宣教師として日本へ派遣されました。その頃、神戸の御影でご奉仕をしていたSr.カロリーネ∙シュタインホフの元に遣わされました。
私は御影に来て2日目にSr.カロリーネから彼女に与えられている使命について聞きました。それは日本で日本人のシスターによるディアコニッセの働きをすると言う事でした。
その日から私はこのビジョンを私のものとして受け止め、神様の御心ならば実現してくださいと御前に祈り続けました。その頃、現在の母の家ベテルの場所は石屋川ルーテル教会として教会活動をしていましたので、日本人のディアコニッセの働きというビジョンの実現は考えられないことでした。
そのうちに、石屋川ルーテル教会の会堂が狭くなり、1974年に教会は母の家ベテルの近くに新会堂を建てて移転しました。
Sr.カロリーネは教会堂の建築に伴う多くの労苦のために身体を弱くし、ドイツに帰らざるをえませんでした。
私は、1962年に献身してSr.カロリーネと一緒に奉仕をしていた建雅子先生と共にご奉仕をするようになりました。私たち二人は日本人のディアコニッセの働きが神様の御心であると確信しました。長い年月を経て、1985年に日本人のシスターたちの共同体である母の家ベテルが設立されて、Sr.建雅子が初代の代表者にされました。
* どうしてあなたはディアコニッセになりましたか。
私の計画は一般の人のように結婚して家庭を築くことでしたが、神様は独身として神様の働きに着くようにと導かれました。このことについては一度も後悔したことはありません。
* どのようにして宣教師としての召をいただきましたか。
ディアコニッセとして訓練を受けている時、イザヤ66:19のみ言葉によって日本への召をいただきました。
「わたしは彼らの中にしるしを置き、、、、、、、、、遠い島々に。これらはわたしのうわさを聞いたこともなく、わたしの栄光を見たこともない。彼らはわたしの栄光を諸国の民に告げ知らせよう。」イザヤ 66:19
み言葉を与えられて誰にも話すことなく9年間祈りつつ待ちました。神様の御心ならばきっと責任者にお示しになると信じたからです。
ある日、母の家の責任者から日本宣教に遣わしたいと言われ、喜んで応じたのです。1972年10月21日に神戸に着きました。その日の日課が第1サムエル2:2でした。
「聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。」
この御言葉にどれほど慰さめられ、励まされ、支えられてきたことでしょう。
日本へ遣わされて今年(2017年)で45年になりました。 その間、 経験したことのない阪神淡路大震災等さまざまな出来事の中に神様の御真実を見せていただきました。
私は私の人生の最後を日本で迎えたいと願っています。
* あなたの一番の願いは何ですか。
働きのために献身者が与えられることです。
* 人生の中であなたに一番影響を与えた人は誰ですか。
40年間ともに生活してきたSr.建雅子です。
彼女は自分の体調がどんなに悪くても人を大切にする捧げきった生活を目の当たりにしてきました。そのような姿を通して神様の愛を教えられました。
また、一度も不平不満などを聞いた事がありません。
Sr.建は言葉を味わうことが出来る人でした。
ユーモアとウィットに富み、ドイツ語でもユーモアで人を楽しませてくれました。酸素吸入をしても肺が膨らまず、酸素を十分に取り込めないようになっても神様に委ねて平安の中に天の御国に旅立ちました。
再会の時を楽しみにしています。
5人目はシスター・廣谷茂子です。
皆様が、母の家ベテルに来られた時に最初に出会う可能性が高いシスターです。
⑴ 母の家ベテルでの貴女の仕事は?
ゲスト担当です。母の家ベテルに宿泊や会場使用などのご用のある方の最初の窓口です。
⑵ クリスチャンになったきっかけは?
田舎の未信者の家族の中で、
一人だけいるクリスチャンの姉をみて教会に行くようになりました。教会には他にはない暖かさや清らかさがあることを感じ定期的に通うようになりました。しかし、聖書に書かれている奇跡はとても信じることができませんでした。また罪についても自分のこととして受け入れる事ができませんでした。その後、自分に起きた様々な事を通じて(詩篇119:71)、神様の御愛を受け入れることが出来、洗礼に至りました。
⑶ シスターになったきっかけは?
神戸で通い始めた教会がシスターによって始められた石屋川ルーテル教会でしたから、当初からシスター方と関わりがありました。洗礼後数年経って、両親の介護を通して、将来は老人ホームや施設のような所で奉仕の生活を生涯していきたいと思っていましたが、長年のシスター達との関わりの中で献身へのみ言葉を与えられ、生涯を捧げて神様のために働くようにと召しをいただきました。
ヨハネ 15:16
あなたがたがわたしを選らんだのではありません。わた
しがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。
それば、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがた
の実が残るためであり、、、、
ピリピ 4:13
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことで
もできるのです。
⑷ 好きなみ言葉は?
座右の御言葉です。
ローマ 8:28
神を愛する人々。すなわち、神のご計画に従って召さ
れた人々のためには、神がすべてのことを働かせて益
としてくださることを、私たちは知っています。
⑸ 好きな賛美歌は?
494 わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど
主はみこころ なしたまわん
287 イェス君の御名は たえなるかな
きけばかなしみも おそれも消ゆ
⑹ 個人的な生活の中で何を目指していますか?
持ち物を増やさないこと
⑺ どんな季節が好きですか?
爽やかな気候の秋、実り豊かな秋が好きです。
⑻ 未来に対する一番大きな願いは?
寝たきりにならないで速やかに御国に召される事
シスターへのQ&Aの4人目は、
シスター・鎌田クニ子です。
シスターはほぼ毎日アガペ甲山病院でお仕事・ご奉仕をされて
います。
♪カンカンカンナの花咲けば、
赤いカンナの花咲けば、
海からそよ風が吹いてくる♪
我が家から海辺まで子供の足で歩いても10分ほど、お墓まで5分、庭先やお墓の回り、海辺には花びらの大きい光沢のある真っ赤なカンナの花が、沢山植えられていました。今でもカンナの花を見るとカンナの花の歌を口ずさみたくなる。子供の頃非常に印象に残った神秘的な花でした。神秘的といえば、人はなぜ死ぬのだろうか、死んだらどうなる、死ぬのが怖い!冷たい土の中に埋められるのはイヤだ!この思いは私が小学校の時突然芽生えた問題でした。私の郷里である屋久島では当時人が亡くなると埋葬しました。お墓が近かったためお墓の土堀をしている近所のおじさんたちをよく見かけました。その時、ああ今日もまた誰か死んだんだ。死にたくない、冷たい土の中に埋められるのはイヤだ!と幼心に死について真剣に悩み、苦しみ、泣いていました。その苦しみや悩みを、両親にも学校の先生にもいえず過ごしていました。後にも先にも死について考えたのは小学校4年生というこの時期だけでした。
通っていた高校がミッションスクールでしたので、そこで聖書に出会いました。高校では新約聖書のみでこんな面白い本と夢中で読み、当時心に残ったみ言葉がヨハネの福音書11章25節でした。神様だから死んでも生きるのだと得心し、奇跡物語など疑う余地はありませんでした。その後、大阪赤十字病院で働いていた時、同じ病棟にクリスチャンがおられ、その方に連れられた教会が石屋川ルーテル教会(現・御影ルーテル教会、当時今の母の家ベテルの場所にございました)でした。そして、昭和46年12月に受洗しました。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じるものは、決して死ぬことがありません。このことを信じますか?ヨハネ11・25」
真の死の解決は聖書から、神の言葉を通して知ることができました。洗礼を受けたのち神様の愛に動かされ児童伝道を志し、短大の児童教育科に進み、その後聖書学校へ導かれました。人の思いと神の思いとはちがうことを示されました。聖書学院卒業後はベテルだと神様にはっきり示され、爾来シスターとしてご奉仕しています。なお、24歳の時、「…わたしのように独りでいるのがよいでしょう」(コリント人への手紙第一7章8節)を示されていました。1990年3月よりアガペ甲山教会、アガペ甲山病院でご奉仕するようになり、現在に至っていますが、今は非常勤でご奉仕しています。救霊の使命と死を看取るという素晴らしい光栄にあずかっています。
Q. 大人は子供から何を学ぶことができますか?
A. 笑顔。子供の頃は底抜けに明るいといわれましたが大人になると素直な笑いが少なくなりました。
Q. あなたにとって母の家での一番の大きな経験は何ですか?
A. 個人的な体験では、阪神淡路大震災の時2階に住んでいましたが、あまりの激しい揺れに建物が壊れて死んでしまう、と恐怖を感じた瞬間です。2度と体験したくないですね。
母の家やアガペ病院では様々な人との出会いや出来事があり、それぞれが大切な経験・思い出です。
Q. 何によってあなたは大きな喜びを与えられますか?
A. 思いの中で主から目を離さないでいるといつも喜びがあります。
Q. 次の文章を完全にしてください。
A. 勇気というのは、、、 問題から逃げないことですね。
Q. 以前していた子供伝道とは?
A. 片道2時間かけて浜寺までクリスチャンホームのご家族や地域の集会場へ行きました。なぜ、子供伝道を大切にしたかと申しますと、シスター紹介にもありますように、小学校4年生の時期に人の死について悩みましたので、児童伝道の大切がわかるからです。
Q. 思いがけないたくさんのお金を頂いたら何に使いますか?
A. 故郷の高級ホテルで2週間ほど温泉につかりながら、海や山を眺めリラックスした時を過ごしたいです。
3回目はシスター瀬戸口ナツ子にお話しを伺いました。
母の家ベテルでは厨房に行けば、お会いすることができます。
* 自己紹介お願いいたします。
”私は瀬戸口ナツ子と言います。母の家ベテルでシスターとして献
身して34年になります。”
* 母の家ベテルを知られたきっかけは?
”クリスチャンである姉の家庭集会に出席した時に、ベテル集会に
誘われ、ベテル集会、教会(石屋川ルーテル教会)の礼拝に出席する
ようになりました。
初めてベテル集会に出席した時に、エレミア書29章11節“わた
しはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ
–主の御告げ− それはわざわいではなく、平安を与える計画であ
り、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ”というみこと
ばが与えられました。”
* その後、シスターとして献身されたのですか?
”そうです。1年余りを経て、1981年のイースターにまず洗礼を
受けました。そして、ベテルのシスターが、“私たちと一緒に奉仕
しませんか”と声をかけてくださり、そういう生活・生き方がある
のだと知りました。神様は、わたしにシスターとしての生涯を歩む
ように導いてくださっているのだと信じて、母の家ベテルに献身し
ました。”
* 母の家ベテルでは主にどのような仕事をされているのですか?
”台所の働き、買い物の奉仕をしています。一年を通じて、いろいろ
な集会・行事が持たれています。婦人の集い、賛美の集い、セミナ
ー、コンサート等、また、この施設をご利用くださる方々をお迎え
するために整え、準備します。“胃袋伝道”とでも言いますか、食卓
の交わりを通じて肉体の必要が満たされると、心が開かれみことば
が心に届くと思います."
* シスターの働きの中で、励みになっていることはありますか?
"ドイツの母の家で、わたしと同じような立場で奉仕されているシス
ターの証し、働きを通じて多くの方がイエス様に導かれたことを聞
いて、とても励まされています。"
* 好きな賛美歌・聖書の箇所を教えてください。
"賛美歌は、312 いつくしみぶかき、461 主われを愛す、で
す。
聖書箇所は、エレミア書29章11節です."
* 最後に、今後に対する思いをお聞かせください。
"私の家族であるシスターたちの健康がいつも支えられ、各々の働
き・奉仕が祝福されるように、私に委ねられた責任を果たしていき
たいと思っています。"
第2回目はシスター辻野悦子です。
今年の5月から母の家ベテル代表に就任され、これからますます活躍の場を広げられます。
インタビュー形式で、お話しを伺いました。
インタヴュアー:シスター辻野、改めまして自己紹介をよろしくお願いいたします。
シスター辻野:辻野悦子ともうします。和歌山市の出身です。クリスチャン・ホームでない一般の家庭で育ちました。18歳で洗礼を受けて、25歳でシスターとして献身いたしました。
イ:18歳で洗礼を受けられた大きなきっかけはあったのでしょうか?
辻野:子供の頃は教会の接点はありませんでした。高校一年生の時に、学校にギデオン協会の聖書を配りに来られて、そこで初めて聖書に触れました。ギデオン協会の聖書にはこういう時はここを読みなさいということが書いてありますので、それがとても良かったです。それから、三浦綾子さんの本に出会いました。それは当時勉強していた進研ゼミの図書案内で紹介されました。
また、当時お世話になっていた塾の先生が洗礼を受けてクリスチャンになったということもあり、以前教会に行ったことのある友人と一緒に、授業の後に色々とキリスト教の話しをすることがありました。
イ:それでは、聖書、三浦綾子さんの本、洗礼を受けた恩師、と段階的にキリスト教に触れていかれたのですね。
辻野:そうです。それで、高校2年生の秋に初めて教会の門を叩きました。
イ:同じようにキリスト教に興味を持っていた同級生の存在も大きいですね。
辻野:そうです。その友人はCS(教会学校)に行っていたということもあり、私に“教会には親切な方も多いし、信頼できるところだ”と教えてくれました。今考えるとCSの重要さを感じます。その彼女がいなかったら高校生の時に教会に行けていたかわからないです。
イ:その1年後に、洗礼を受けられたのですね?
辻野:そうです。教会に行き始めてから、塾の先生の勧めもあり、ルターの小教理でキリスト教の基礎的な学びをしました。それで、18歳の時に洗礼を受けました。20歳になるまで待ってみてはという助言もございましたが、自分自身の中で待つ理由はないと思いましたので洗礼を受けました。
イ:それから、25歳でシスターとして献身されたのですね。大きな決断だったと思います。
辻野:大きな導きがあったと思います。洗礼を受けた後、18歳で大学進学を機に西宮で一人暮らしを始めました。また家庭も一般のノン・クリスティアンでしたので、しっかりとみ言葉を学ばなければいけないという思いがございました。ですから、自然とみ言葉に触れる機会を求めました。それで聖書学院に入学したいという希望を持ちました。そこで、大学卒業後3年頑張って働いてお金を貯めてから、聖書学院に入学しようと思いました。ところが、働いた会社がとても忙しく残業も多くて、身体もこわしてしまう程でした。結局、一年で仕事を辞めました。それで考えていたより早く聖書学院に通うことになりました。
聖書学院で学んでいる時に、召命をいただきました。
イ:召命?
辻野:み言葉を通して、シスターとして将来を捧げていく召命を神様からいただきました。
イ: 25歳の若さでシスターとして献身するとは大きな決断でしたね。
辻野:そうですね。やはり、最初は反対もございました。両親は私のことを心配したのだと思います。自分の思いでは聖書学院は2年課程があり、一年課程を終えた後シスターになって、2年課程に進もうと思いました。しかし、両親の反対もあり一度和歌山に帰って、パン屋さんや家庭教師のアルバイトをしながら、その時を待ちました。その間に仕事の紹介や結婚のお話しまでありましたが、その後シスターとして献身しました。その数年後には両親もそれを認めてくれました。
イ:そういう時間は大変だったのでは?
辻野:それも神様が示してくださった時間だったと思います。その時は回り道だと思いましたが、今考えますと、とても大切で重要な時間だったと思います。
イ:ところで、母の家ベテルとの出会いはいつだったのですか?
辻野:学生時代に、知り合いの方が母の家ベテルのことを教えてくれました。そこで、ベテルの集会に参加したのがきっかけでした。最初はプロテスタントにもシスターがいるということに驚きでした。それから、集会に何回か通うようになりました。その後、聖書学院でシスター・エーデルトラウトがディアコニアの授業を持ってましたので、そこでもシスター方と触れ合う時がございました。
イ:シスターになられて、今年で26年目になりました。今までシスター辻野は夏期学校や学研英語のクラスなど、子供伝道に長く遣わされてきました。
辻野:子供はみ言葉を素直に受け入れることができます。ですから、とても注意しながらやってきました。実は、私は子供が苦手だったのです。子供の体力についていくことが大変だったから。
しかし、大学時代に通っていた教会でCSをやってみませんか、という誘いがありました。
そこで、徐々に参加しながら一年経ったら、メッセージもするようになりました。その教会は積極的に若い人を教会の奉仕に誘っていました。また、教会の子供達の数もとても多かったのです。最初は、子供の質問に答えるのもどうしたらいいかと自問しましたが、子供たちがみ言葉を学んでいく姿を見るのが好きだったのだと思います。結局、献身するまで7年間CSを続けました。
イ:その経験がシスターになられてからも生かされているのですね。
辻野:そうですね。夏期学校もそうですが、学研英語のクラスと並行して児童伝道を担当してきました。この新しい建物が経ってから学研が始まりまして計13年間遣わされてきました。
イ:昨年一年間、ドイツへドイツ語の学びに行かれました。新しい語学を学ぶことは大変だったと思いますが、その学びともに、ドイツでの生活はいかがでしたでしょうか?
辻野:まず、ドイツ語を学ぶのは大変でした。通っていた語学学校はかなり厳しい学校でした。わたしは本当に劣等生でしたが、クラスの友人や一緒に暮らしているドイツ人の家族がとても助けてくださいました。
また教会生活の中でふとした光景でしたが、日曜の礼拝に皆さんが集われた時、祭壇の方に向かってお祈りをしてから着席するということが自然になされていました。ドイツの皆さんにとって当たり前のことだと思うのですが、この方々に染み付いたものがあるなと思いました。また、幼児洗礼の時にGodparentsになる方がその子供に蝋燭をプレゼントします。その蝋燭にそれぞれ絵を描いたりシールなどを貼ったりしてオリジナルの蝋燭を作ります。それを誕生日の時に火をともしてGodparentsの方にも支えられていることを感謝し、また教会のある行事の時に洗礼の蝋燭を持って前に子供たちが並んで祈るということがありました。それぞれ教会の中のある行事ですが、その中に息づいている伝統、周りの人の祈りに触れて、率直に素晴らしいことだなと感じました。
他にも色々と感じたことがありましたが、ドイツでの一年間の学びはこれからの働きにとって、また私にとってもかけがいの無いものとなりました。本当に感謝です。
イ:シスターは帰国後、毎週日曜日の夕方から“初歩のドイツ語講座”を始められました。
辻野:初回からご一緒に学ばれる方が来られたのは本当に感謝です。ドイツで使っていた教科書を使いながら、私も教えながら学んでいます。10数名の方が来られていて、とても励まされています。
イ:今年の5月から、母の家ベテルの代表になられました。
辻野:小さく弱い私たちですが、神様がこの働きを守り、進めてくださり、将来を導いてくださることを確信しています。働きの中で、一番大切なことは「人」です。よい協力関係を築き、それぞれが持っているものを出しあえたら素晴らしいと思います。
私たちにとって一番大きな願いと祈りは、この群れに新しいシスターが加えられるように、ということです。
イ:これからのシスターの働きがますます祝されますようにお祈りしています。今日はありがとうございました。
辻野:ありがとうございました。
シスターへの質問コーナーのトップバッターは、シスター小西早百合です。母の家ベテルでは主にコンピューター関係の事務の仕事を担当しています。
1 私にとっての満足感は?
神様が母の家ベテルに導いてくださったことを感謝しています
から満足しています。私たちは一緒に生活することによって、
お互いに祈り励まし、助け合う事が出来ますし、支え合う事が
出来ます。それに、私たちは決まった制服を着ていますから、
服装も今日は何を着ようか…..などと考えなくてもいいので、
気持ちが楽です。
2 あなたに与えられた仕事で何が一番喜びですか?
パソコンと写真を使って仕事をする事です。
3 何によってあなたは大きな喜びを与えられますか?
動物が好きで動物の生態の番組を見るのが好きです。
動物の中でも特に犬が大好きですが、ベテルでは飼うことが
出来ませんので、犬を連れて散歩している人がおられると、
犬を介して知らない方にも声をかけやすいですし、犬に触らせて
もらうのが喜びです。最近、お休みの日に一度動物園に行きたいな
と思っています。
4 未来に対する一番大きな願いは?
もしも、寝たきりになってしまったらセラピー・ドッグを連れて
来て欲しいなと思いますが、なるべく元気でご奉仕したいですし、
その時が来たらサッと召されたいです。
5 クリスチャンになったキッカケは
母の病気と死を通して、聖書から神様が慰め励まし、こんなにも
神様から愛されているのだと経験したからです。
6 好きな讃美歌は?
聖歌590番(救い主イエスと共にゆく身は)…..葬式の歌
讃美歌391番(ナルドのつぼ)
7 あなたにとっての一番の祈り課題は?
今年99歳になる父と、世話をしている弟の救いのために祈って
います。
8 どんな季節が好きですか?
春です。私は寒い冬が嫌いですから、暖かい春になるとホッと
しますし、お花もいっぱい咲いてパッと明るく華やかな感じが
しますから。
次に好きなのは秋です。紅葉した木々や、枯れた感じも好きです。