大戦後、中国でのキリスト教伝道の扉が閉ざされたので宣教師たちは国外に退去せざるを得なかった。マーブルグ•ミッションからは中国にいたシスター達が宣教師として来日した。このようにして、シスター•カロリーネは、1952年来日した。その後間もなく神戸市東灘区御影に宣教の第2の拠点を定めた。これが現在の御影ルーテル教会である。

シスター•カロリーネは、キリスト教宣教と同時にもうひとつの強い願いをもっていた。

それは若い女性の献身者が結婚を捧げて、主に仕えるシスターとして奉仕することであった。この願いは時を得て、1985516日創立に至った。母の家ベテルの誕生である。

 


信仰と愛の二本の棒

 

神様の御愛には限りがありません。国には国境があって、その境を越えるには特別な許可が要る様に、物には何でも限界があります。しかし、神様の御愛には、その高さ、深さ、広さに於いて限界がありません。どこまでも限りなく愛してくださるのです。子供の時、この神様の御愛について教えられ、救われてから、出来る限りこの素晴らしい神様を愛し、又生命のある限りこの神様の御愛を他の人に伝えようと決心しました。

 しかし、16歳の時、モーセに命じられた様に、「出ていきなさい」と神様が御命じになった時、私はためらいました。どこに行ってもいいかも解らなかったのですが、唯家から離れる事が不安に思えたのでした。けれども何年か後、私は神様に導かれて中国に行く事になりました。送別会の時、ある牧師さんがピリピ書4章4節から7節の御言にそえて、「二本の棒とは信仰の棒と愛の棒で、絶えず両手に携えて、凡ての事を主に在って為す様に」と教えて下さいました。中国での生活が始まって暫くすると、この二本の棒が如何に必要であるかがよく解って来ました。中国では盲目の子供達のために働くことになりましたが、始めのうちは、食糧も、仕事の材料も、点字の道具も必要な物はみな本国から送られて来て、何不自由ない生活でした。しかし、やがて戦争になり、輸送は途絶え、日常の食物にさえ事欠く状態になりました。離れた所でしたのでジープで運ぶことにしました。しかし無事に運ぶには、夜を利用する他にありませんでした。最初は一人で行きましたが二回目は他のシスターと出かけました。無事コメを積んでの帰り道、山の頂きまで来た時、突然ピストルの音。銃を持った何人もの強盗を見た時、心臓の凍る思いでした。しかし、止まる事はもっと危険です。「神様、どうしましょう?」、「行きなさい」。御旨を確信して、祈りながら、必死に全速で走った。弾は体の左右や頭の上をビュンビュンと何発も流れました。けれど私共は無事でした。神様の御守りを感謝せずに居れませんでした。

 ある年のこと、脳膜炎の一種の恐るべき伝染病が蔓延しているとの報せに危険の迫っている事を感じた私共は皆で集まって特別に主の御憐れみと御守りを祈りました。お祈りを終えて二階の部屋に帰った時、妙な音に窓の外を見ると驚きました。伝染病で死んだ七百人以上の死体を運んできた車が延々と続いていました。子供達に知らすべきか否か暫く迷いましたが、親元へ帰すほうがいいと思って報せると、子供達は死ぬならここで皆と一緒に死にたいというのでした。そこで皆揃って神様が守って下さる様にと祈りました。不思議な事に死んだ人は一人もありませんでした。神様が依り頼む者を省みて下さることをこの時も身にしみて経験しました。

 またある時のこと。御言を読み祈っていますと、急に不安な気持ちに襲われました。何故かわかりませんが、神様が子供達を連れてどこか離れた所へ行けと命じているように思えたので、身の回りのものだけ持って、子供達を連れて、いくべきところを知らないままに出かけました。驚いた事にほんの2、3日の後に、私共の学校も宿舎も、作業場も爆撃を受けて、わずか3分ほどで全部焼けてしまいました。しかし私共は一人残らず無事でした。神様の導きはなんと素晴らしいではありませんか。神様の愛の限界は誰もいうことは出来ませんが、私が唯一いえることは、若し神様の御愛で守られ、救われていなかったら私は今日ここにいません。

 神様は本当に信頼することの出来る御方です。信頼する者を決して失望させ給いません。皆さん!ますます神様を愛する棒と信仰の棒を手にたずさえて歩んで下さい。

 

                        石屋川ルーテル教会 カロリーネ・シュタインホフ

 

*このメッセージは、昭和36年9月号第67号のルーテルアワー新聞より抜粋です。文章は漢字使いなど原文のままで、石屋川ルーテル教会は、現御影ルーテル教会です。

 


シスター建雅子(母の家ベテル初代代表)は2月8日15時に天に召されました。享年80歳でした。前夜式・告別式が皆様の祈りとお支えの中、無事にとり行なわれたことをご報告致します。ありがとうございました。


シスター中尾千代香は10月25日午前4時20分に約5年の闘病の末、乳がんのため天に召されました。享年53歳でした。本人の希望により告別式はシスターと近親者のみでとり行われました。シスター一同深い悲しみの中にありますが、皆様のお祈りに覚えていただけると嬉しく思います。